62回目の8・15終戦記念日を前にした8月11日午前、鹿児島県加治木町の町立錦江小学校体育館で、8・11加治木空襲の日にちなみ「平和の集い」(青少年育成町民会議錦江小校区部会主催)が開かれました。これは、戦争体験の風化が叫ばれる中、次代を担う子どもたちに「空襲の日」の体験を語り継ごうと企画されたもので、町議会公明党の新福愛子議員が提唱し、昨年から実施されています。2回目となる今回は、空襲を体験した“語り部”3人が戦争の残酷さ、平和の尊さを切々と訴えました。
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加治木町は、終戦4日前の8月11日、午前10時25分に飛来した米軍爆撃機による大空襲で一面焦土と化し、死者28人、罹災者約3000人という大きな被害を受けました。
「平和の集い」は、小中学生のほか、地域住民約250人が詰め掛ける中、午前11時20分に始まりました。会場の一角には45ミリ機関砲弾や飯ごう、水筒など戦争にかかわる品物、写真パネル、資料が展示され、空襲の惨劇を無言で語り掛けていました。
「集い」では、愛下ひとみ同校区部会長のあいさつの後、3人の“語り部”が登場。川村吉弘さん(76)は「焼夷弾で焼けただれた人が担架で次々に運ばれてきた。悲痛な叫び、うめき声……。医者が『いくら薬を付けても治らん』と言っていたことを今も覚えている」と声を詰まらせ、旧制加治木中学校2年生の時、学校で空襲に遭った川原仁さん(76)は「ドドドド。飛行機から機銃掃射を受け、逃げようにも逃げられなかった。校舎は焼け、同級生4人を含む中学生15人の尊い命が奪われた」と凄惨な爆撃の状況を語りました。
5年生(当時は国民学校)の時に自らも大空襲に遭い、災禍に見舞われた人々の体験談集を編集した加治木生活学校運営委員長の西迫雅子さん(72)は“語り部”の心中を吐露。「周りにいる70歳以上の人は空襲の体験者です。話を聞き、平和について語り合ってほしい」と呼び掛けました。
正午、加治木空襲の犠牲者を悼むサイレンに合わせ、会場でも犠牲者の冥福と平和への願いを込めて、全員で1分間の黙とう。最後に、中学生代表の福山泰代さん(1年生)が「戦争を二度と繰り返してはならないと強く思った」と、反戦・平和への思いを述べました。
「平和の集い」は、錦江小学校区の青少年育成町民会議のメンバーでもある新福議員が、昨年4月の第1回校区部会で提唱。昨年は中学生を対象に、今年は校区部会の活動として地域住民に呼び掛けて実施されました。
同議員は、「8月11日の大空襲を、平和への誓いの日にしたい」との決意を胸に、町議会でも町独自の平和教育の実施(2005年3月議会)、平和集会の開催(同6月議会)、「加治木平和の日」の制定(同9月議会)を相次ぎ提案。「来年は、町挙げて『平和の集い』を開催できるよう町当局に働き掛けたい」と意欲を燃やしています。
<2007年8月>
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展示品を手にする中学生らに戦争への思いを聞く新福議員(右から3人目)
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