
61年前の8月15日、私は台北(台湾)にいました。父が歯科医院を開業しており、4人姉妹の末っ子だった私は、生まれて7カ月の乳呑み子でした。そして、終戦後、家族そろって日本に引き揚げてきたのです。
母によると、引き揚げ船の中で私は、泣いてばかりいたそうです。栄養失調になり、医者は「この子は助からない」と言っており、母は「いっそ捨てていこうか」と考えたこともあったそうです。それでも、一家全員が無事に帰国できたことが、どれほど幸運だったかを知るのは、それからずっと後のことでした。
『身も心も凍る戦争の邪悪さ』
大学を卒業後、弁護士となった私は今から25年前、女性たちの手による太平洋戦争の証言集の編集出版に携わる機会を得ました。戦争で全財産を失い、最愛の家族を亡くした女性の方々が「本当は思い出したくもない。できることなら忘れてしまいたい。忌まわしい体験だから。しかし、再び戦争を繰り返さないため、この体験を語り継ぐのが私の使命です」と言って、涙ながらに語ってくださった証言の数々でした。
特に、小さな引き揚げ船がサメの大群に襲われ、船を転覆させないため、サメの餌として弱った病人や子どもが生きたまま次々と海に投げ入れられた地獄の光景を目にしたとの想像を絶する証言内容には、そのあまりの戦慄と恐怖に、身も心も凍りつく思いでした。
そうなのです。生後7カ月の私が無事に帰国できたのは、本当に幸運だったのです。戦争は、そこまで人間の心を狂わせてしまうのです。戦争は、それほど邪悪で巨大な“悲惨”そのものなのです。
そして、この証言集の編集に携われたことが、その後の私の平和への取り組みの「原点」となりました。
今も、地球上から戦火が消え失せたわけではありません。現在進行形で、戦争の犠牲者として苦しむ女性や子どもたちが数多く存在します。私たち日本人も、「戦争は、決して過去のものではない」という視点を忘れてはなりません。
『地球上に真の平和築く責任』
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パキスタンの難民キャンプで子どもたちと語り合う浜四津代表代行(右端)=2001年12月 ペルシャワール
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「行動する平和主義」を掲げる公明党の代表代行として、これまでカンボジアやパキスタン、イランなどを訪問し、難民キャンプの子どもたちや女性と話をさせていただきました。その際、子どもたちが瞳を輝かせて「私は将来、学校の先生になるの」「僕は、医者になって患者を救うんだ」と語る姿に、思わず目頭が熱くなったものです。
この子たちの未来を永遠ならしめるためにも、私たちの世代は、この地球上に「真の平和」を構築する責任があります。
そうした意味で、きょう8月15日は、日本の「終戦記念日」ですが、私は、それだけに終わらせることなく、「世界の終戦記念日」を創造しゆく誓いを深める日にすべきだと考えています。61年前に日本の戦争が終わった日という意味だけでなく「世界中のすべての戦争を必ず終わらせてみせる」という決意を、世界中の人々が固め合う日とすべきではないでしょうか。きょう、この日からは……。