メソポタミア湿原が回復、国連支援が成果収める。2.5万人の雇用も創出
公明、難民の声聞き奔走??イラン・イラク国境

 旧フセイン政権によって破壊されたイラン・イラク国境地帯に広がるメソポタミア湿原??。その再生をめざし、国連環境計画(UNEP)が行っているイラク南部湿原環境管理支援プロジェクトが着実に成果を挙げています。

 同プロジェクトは、2004年8月から実施され、湿原の再生支援と、現地住民への安全な飲料水と排水・衛生設備の提供を行っています。

 今月2日に公表された成果報告では、湿原の植生地域と冠水地域を合わせた総面積が、プロジェクト開始時から約60%増加し、今年9月には、破壊前(1970年代前半)の湿原面積の48%に当たる部分で植生と冠水が観測されるまでに回復。

 流域住民への飲料水の提供については、バスラ、ミサーン、ジカール各州内の6地域において、水道管敷設と共同給水栓の設置が完了し、約2万2000人が安全な飲料水の提供が受けられるようになりました。

 一方、今回のプロジェクトでは、多くの雇用の場も生まれました。土木工事や設備の保守・管理、調査などで、延べ2万5572人の雇用が創出され、住民の湿原地帯への帰還が促進。それによって家畜の増加や都市部向けの酪農製品の生産、アシ工芸品の製作も活発化し、地域コミュニティーの繁栄にもつながっています。

 今後、イラク人が自ら湿原の環境管理を行っていくための研修も、イラク国内外で計17回実施され、管理のための知識や技術などの習得が進んでいます。

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 メソポタミア湿原はかつて、日本の四国よりも広い2万平方キロメートルもの広さを持ち、豊富な水資源によって長い間、漁業、農業の盛んな大自然の恵みあふれる地域でした。

 しかし、70年代以降のダム建設や、湿原に暮らすイスラム教シーア派住民の弾圧のための湿原破壊で、2001年には湿原の9割が消滅。08年には完全に滅びるのではないかと危ぶまれていました。

 こうした中、公明党は03年3月、イラク情勢調査のため、浜四津敏子代表代行らをイラン・イラクの国境地帯に派遣。その際、湿原を追われた難民らから「一日も早く故郷に帰り農業をしたい」との切実な訴えを聞いたのをきっかけに、湿原再生支援に乗り出しました。

 翌年2月に、アナン国連事務総長に支援要請を行うとともに、「党イラン・メソポタミア湿原視察団」を現地に派遣し実情を調査。国会では、太田昭宏代表らが再三にわたって支援を訴えてきました。

 一方、党青年局(遠山清彦局長=参院議員)は、日本が湿原再生を主導するように求める署名運動を展開。551万人を超える署名を福田康夫官房長官(当時)に提出しました。

 こうした取り組みが後押しとなり、日本政府は、イラク復興信託基金に拠出した12億円を資金に充て、UNEPにイラク南部湿原環境管理支援プロジェクトの実施を要請。04年8月にスタートしました。

 その後も、公明党の推進などで、政府はプロジェクトを継続支援するため、1億1000万円を拠出してきたほか、外務省、環境省職員の派遣や研修の国内受け入れなど、さまざまな側面で支援を行っています。

 プロジェクトは来年4月から最終年度となる3期目を迎える。UNEPは今後、太陽光を含む代替エネルギーを動力源とする給水設備の整備をはじめ、湿原に流れ込む運河の水質改善、イラク人の手で再生・管理できるようにするための研修などに取り組んでいく予定です。


『「平和と人道の党」らしい貢献??浜四津敏子代表代行』

 国連環境計画のイラク南部湿原環境管理支援プロジェクトによって、破壊された湿原が回復され、延べ2万5000人を超える雇用機会が創出されるなど、多くの成果が挙がっていることをうれしく思っています。

 2003年3月にイラン・イラクの国境地帯の難民キャンプを訪れた時、湿原を破壊され生活の場を追われた、多くの難民の方々から「故郷に帰り、農業をしたい」「漁業で生計を立てたい」との切実な声をうかがいました。

 公明党は、その現場の声を踏まえ、国連に対して湿原回復の支援要請を行うとともに、日本がリーダーシップを発揮するよう再三、国会で訴え、さらに、党青年局の551万人もの署名もあり、04年に政府の支援でプロジェクトが始動しました。

 これからも「平和と人道の党」公明党として、日本らしい国際貢献を推進していきます。

<公明新聞2006年11月17日付から>