
与党水俣病問題対策プロジェクトチーム(PT、園田博之座長=自民党衆院議員、木庭健太郎座長代理=公明党参院議員)が先月末にとりまとめた水俣病被害者に対する新救済策について、公明党水俣病問題小委員会事務局長として中心的な役割を果たしてきた江田康幸衆院議員に話を聞きました。
――昨年5月のPT設置から約1年半をかけて成案にこぎ着けました。
江田康幸・党水俣病小委事務局長 与党PTの園田座長、木庭座長代理(党水俣病問題小委員会委員長)をはじめ、関係者のご努力に心から感謝します。私も地元で多くの水俣病被害者の方々のお話を聞き、救済策の取りまとめに取り組んできただけに、「よくぞここまで」と感慨深いものがあります。
――新救済策のポイントは。
江田 まず基本的な考え方として、1995年の政治解決での救済策の対象者に準ずる症状の人を救済するということです。
具体的には、(1)公害健康被害者補償法(公健法)に基づく水俣病患者認定の申請をしている人(2)保健手帳の交付を受けている人――が対象になります。その中で新・救済策を希望する方の申し出に応じ、公的診断により、水俣病に特徴的な四肢末梢優位の感覚障害(手や足の先になるほど感覚が鈍くなっていく障害)があるかどうかを判定します。
これによって新救済策の対象と認められた人には、(1)一時金として150万円(2)医療費の自己負担分を全額(3)療養手当として月1万円――を支給します。
――公明党として特に強調したいことは。
江田 まず給付が一時金と療養手当、医療費自己負担分の3点セットになったこと。これによって、より多くの水俣病被害者に同意いただけるものになったと思います。特に一時金は、「同じ被害には、同じ救済を!」と訴えて取り組んできましたので、95年の政治解決(一時金260万円)の半額以下では、納得いただくのは難しいと思っていました。
――新救済策がまとまるまでの経緯は。
江田 PT設置の大きなきっかけとなったのは2004年10月15日の水俣病関西訴訟の最高裁判決です。一部国の責任を認めたこの判決に意を強くして、公健法上の認定を申請する方が急増(07年9月現在5616人)。しかし、熊本、鹿児島、新潟3県の認定委員会は、認定基準が変わらない以上、多くは不認定となる可能性は高く、不認定になった人たちを手当てする何らかの受け皿的措置がなければ認定を再開することが難しいとして、判定されないままになるという異常事態が生じていました。
このため、まず、公明党は党内に水俣病問題小委員会を設置して患者・被害者の人たちから意見をうかがい、政府に働きかけ、医療費保障を手厚くした新しい保健手帳が05年12月から交付されました。
さらに公明党は06年4月に新救済案の提言をまとめ、小池百合子環境相(当時)に提出。それを基に、自民党に求めて与党PTを設置し、途中さまざまな紆余曲折はありましたが、今回の成案にこぎ着けたのです。
――今後の課題は。
江田 一つは新救済策の前提となる公的診断のできる神経内科医が不足しています。これは国としてしっかりと取り組んでもらいます。
また一時金の支払いはチッソに負担してもらうというスキーム(計画)ですので今後、チッソとどう交渉していくかという問題もあります。
さらに、新救済策の実施に伴い、新保健手帳の受け付けを終了しますが、新救済策と新保健手帳の関係を明確にし、公的診断の結果、もし新救済策の対象と認められなくても、何らかの形で医療費保障を受けられるような仕組みにするなど、スキームの細部をきちんと詰めていかなければならないと考えています。
――昨年、水俣病の公式確認から50年を迎えました。
江田 水俣病は公害と分かって50年以上もたつのに、多くの患者・被害者は偏見や差別を恐れ、自分が有機水銀の被害者であると声を上げられずにいたことが、04年の最高裁判決を機に、勇気を持って手を挙げる方が多く見受けられた。苦しみの中から上がったこうした声に、政治は何ができるのか。公明党は長年、救済に取り組んできました。
公明党が与党に入ってから、ハンセン病訴訟で政府が控訴断念したことをはじめ、アスベストの問題や中国残量孤児支援、カネミ油症の患者支援、ドミニカ移民補償、原爆の被爆者支援など、これまでの政治では見過ごされていた部分に政治の光を当てることができたと思っています。今回の水俣病被害者に対する新救済策も、公明党が与党にいたからできたと自負しています。
今後ともこの新救済策の実施に遺漏のないよう、全力で取り組んでいく決意です。
『水俣病とは』
1950年〜60年代、熊本県水俣市にあった新日本窒素肥料(現・チッソ)の工場排水に含まれていた有機水銀により、不知火海沿岸を中心に多数の被害者を出した公害病。新潟県でも昭和電工の工場により新潟水俣病が引き起こされている。
(2007年11月19日付 公明新聞)