大震災と公明党――与野党協議の舞台裏/党震災対策本部・復旧復興支援チーム座長 遠山清彦衆院議員
今国会で可決・成立した改正災害弔慰金支給法。自然災害で亡くなった人と同居していたか、生計を共にしていた兄弟姉妹を支給対象に加え、3月11日までさかのぼって適用されることになった。法改正の必要性を早期から訴え、与野党協議を主導した公明党の遠山清彦衆院議員の証言を基に、改正の舞台裏に迫った。
(2011年8月19日付公明新聞)
災害弔慰金支給法――被災者の願い早期実現
動き鈍い与党 公明単独で改正案作成
1973年の法制定の闘い、今再び
5月16日の衆院予算委員会。前日まで東北入りしていた遠山氏は、公明党の地方議員から寄せられた被災者の切実な声を代弁した。
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遠山「兄と弟で生計を一つにして暮らしていたご家庭があった。弟さんが精神の病を持っておられ、逃げ遅れて津波で亡くなった。お兄さんはやむなく逃げて生き残った。同じ生計でお兄さんが面倒を見てきたが、災害弔慰金は出ない」
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災害弔慰金は、生計を維持する人が亡くなった場合には500万円、それ以外は1人につき250万円が支給される。ただ、支給対象が配偶者、子、父母、孫、祖父母と限定されていたため、一緒に暮らしていたとしても兄弟姉妹には支給されないという事態が発生していた。
この日の質疑で、問題視したことがもう一つあった。善意で届けられた義援金の支給対象も、災害弔慰金の受給基準に基づいている点だった。
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遠山「このお兄さんには、弔慰金も、義援金も来ない。(津波を免れて)家が残っていたので(生活再建)支援金も来ない」
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身寄りのない被災者に、公的支援がない実態を指摘し、災害弔慰金の支給対象を兄弟姉妹に広げる必要性を叫ぶとともに、「義援金は(市町村の判断で)兄弟姉妹を対象にしていいと明確な通知を出すべきだ」と迫った。
2日後。厚生労働省は自治体側に、義援金については「災害弔慰金支給法の取り扱いと同一にする必要はない」と通知を出した。
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遠山「これで義援金の支給は、兄弟姉妹にも拡大することが可能になり、一つの問題はクリアされた。一方、災害弔慰金支給法の改正は、一向に進まなかった」
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6月初め、厚労省の役人が遠山氏の元を訪れた。「災害弔慰金の件ですが、誰も何もやっていません」。この時、国会の会期末は6月22日に設定されており、政府・与党は会期延長するかどうか揺れていた。「時間がない。自分で改正案を作ろう」。8日、遠山氏は衆院法制局の職員と立法作業を開始した。
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遠山「私の質問に対し、厚労相が改正に前向きな答弁をした。国会の場で議論してくださいと。なのに、衆参400人もいる与党議員は動かないのか」
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スピード感が全くない与党に憤慨した。
改正案作成の過程で災害弔慰金支給法が制定された経緯を調べると、ある歴史が浮かび上がった。同法ができたのは、1973年。当時、伊勢湾台風(59年9月)、新潟地震(64年6月)、十勝沖地震(68年5月)など大災害が続発していた。大規模な自然災害に対する個人救済を――と公明党は68年から一貫して法律制定を主張、国会論戦で政府を突き動かした。
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遠山「当時の公明党の獅子奮迅の動きがあって作られた法律だと知り、感動した」
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作業は加速し、2日で書き上げた。
その後、6月16日の党中央幹事会で山口那津男代表が改正案を発表。並行して民主、自民両党と協議を進めた。自民党はすぐまとまったが、民主党は手続きに時間を要した。結局、公明案のまま衆院災害対策特別委員会に提出されたのは7月12日。遠山氏が国会で取り上げてから約2カ月、公明案発表から1カ月を経ようとしていた。
この日の委員会室には、採決を見守る遠山氏の姿があった。改正案は全会一致で可決し、遠山氏の顔がほころんだ。同日の衆院本会議でも可決、参院に送付され、同25日に成立した。公明党の取り組みは「スピード感ある対応」(岩手県釜石市・野田武則市長)などと評価された。
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遠山「公明党が現場で聞いた声に反対する人はいない。東日本大震災を風化させず、息長く復旧・復興に取り組んでいきたい」